(
2000/12/24)
1004
雨音に紛れ響くのは、アパートのドアが甲高く軋む音。
濡れた靴を脱ぎ捨て、マットへ素足を置き、傘を立てかけて、短く息を吐く。改めて見れば、濡れ鼠も良いところ。上着の内側へ抱え込んでいた荷物は辛うじて無事だったが、こう雨ばかりでは不便なことに変わりない。
春だと言うのに、この冷えた空気は何だろう。のんびりと桜を眺める余裕もない。最も、そんな風流な感覚はそもそも持ち合わせていないのだけど。
「おかえり」
部屋の主の帰宅を知り、少年は壁から顔を覗かせた。足元には異質な紋様を浮かべた大きな蜘蛛が一匹、同じようにこちらを窺っている。他の部屋の住人が見たら卒倒するだろう――世界結界という便利なものの前では、別の何かとして映るのだろうが。だからこそ、人目を気にせずにいて良い場所というのは、彼らにとって貴重であるらしい。
……こうして見ると、ホントそっくりだな。あんたら。
そんな感想を抱きながら、喉の奥で笑みを堪える。軽く視線を合わせて逸らし、ただいま、と返した。
「雨、ひどかったのか」
「ん。タオルくれ」
少年は慣れた様子で部屋を横切り、洗面所から幅の広いタオルを引っ張り出して手渡した。短く礼を告げて受け取り、髪、服、足元と大雑把に水気を拭う。そうしてる隙に彼は勝手に洗面所へ、いつもの部屋着を運び込んだ。気を利かせるというよりも、それがごく当然のことのように。
ああ、あいつもこれくらい解ってくれる奴だったら――洗面所へ足を踏み入れ、ふとそんな思いが頭を過ぎった時、部屋の中に無機質な電子音が鳴り響く。ほんの数秒で終わったそれは、メールの着信音。
少年がまたも何も言わずに鞄を寄越して見せたので、服のボタンを外しかけた手を止め、彼に鞄を持たせたまま中身を漁る。そして見慣れた携帯電話のみを手に取って、開いた。
交友関係は広くない。この携帯だって、必要最低限の連絡にしか使っていない。アドレス帳に登録しているのも、バイト先と大学、そしてほんの少しの知人と、必要に応じ番号を交換した依頼仲間くらいのものだ。メールなんてものを最後に受信したのはいつだっただろうか。
訝しく思いながら受信箱を開き、目を剥いた。
2010年4月14日18時52分
差出人:ヒモ
件名:やあ
本文:久しぶり
「……え?」
まさか。そんなはずは。
画面に映っていたのは、予想もしないものだった。一時的に思考が止まる。その時間は短かったか長かったか解らないが、恐らく”数分”の後にもう一通、メールが舞い込んできた。
2010年4月14日18時55分
差出人:ヒモ
件名:ああ;;
本文:間違えて送信しちゃった(><;;)久しぶり~。元気?僕はとっても元気だよ!今は親切なお家でお世話になってるところだけど、また色々と落ち着いたら会いたいなぁ。都合の良い日とかあったら教えて!
「……はあ!?」
反射的にアドレス帳を開き、差出人の番号への通話を試みる。携帯電話の中では愛想のない電子音が響いているが、『彼』は一向に出てこない。しかし、途切れない辺りを見ると繋がらないわけではないらしい。
――死んだんじゃなかったのか!?
おいおい、俺あいつに『死んだよ』って言っちまたよ!
「……ったく。ああ、ちくしょう」
ため息しか出てこない。
殺しても死なない奴というのは存在するものだ。その事実を噛み締め、携帯を閉じた。洗面所の戸は開かれているが大して気に留めず、服を適当に脱ぎ捨てる。それを見た少年は少し驚いた様子で、鞄を持ったままそそくさとその場を離れた。
……あー。そういやあいつももう高校生だったか。まあいいや。
ひとつ深めの呼吸をした後、浴室の蛇口を捻り、熱いシャワーを素肌に浴びる。冷え切った肌が溶かされていくような感覚が心地良い。
ああ、疲れた。
……明日は、早く起きなければ。
濡れた靴を脱ぎ捨て、マットへ素足を置き、傘を立てかけて、短く息を吐く。改めて見れば、濡れ鼠も良いところ。上着の内側へ抱え込んでいた荷物は辛うじて無事だったが、こう雨ばかりでは不便なことに変わりない。
春だと言うのに、この冷えた空気は何だろう。のんびりと桜を眺める余裕もない。最も、そんな風流な感覚はそもそも持ち合わせていないのだけど。
「おかえり」
部屋の主の帰宅を知り、少年は壁から顔を覗かせた。足元には異質な紋様を浮かべた大きな蜘蛛が一匹、同じようにこちらを窺っている。他の部屋の住人が見たら卒倒するだろう――世界結界という便利なものの前では、別の何かとして映るのだろうが。だからこそ、人目を気にせずにいて良い場所というのは、彼らにとって貴重であるらしい。
……こうして見ると、ホントそっくりだな。あんたら。
そんな感想を抱きながら、喉の奥で笑みを堪える。軽く視線を合わせて逸らし、ただいま、と返した。
「雨、ひどかったのか」
「ん。タオルくれ」
少年は慣れた様子で部屋を横切り、洗面所から幅の広いタオルを引っ張り出して手渡した。短く礼を告げて受け取り、髪、服、足元と大雑把に水気を拭う。そうしてる隙に彼は勝手に洗面所へ、いつもの部屋着を運び込んだ。気を利かせるというよりも、それがごく当然のことのように。
ああ、あいつもこれくらい解ってくれる奴だったら――洗面所へ足を踏み入れ、ふとそんな思いが頭を過ぎった時、部屋の中に無機質な電子音が鳴り響く。ほんの数秒で終わったそれは、メールの着信音。
少年がまたも何も言わずに鞄を寄越して見せたので、服のボタンを外しかけた手を止め、彼に鞄を持たせたまま中身を漁る。そして見慣れた携帯電話のみを手に取って、開いた。
交友関係は広くない。この携帯だって、必要最低限の連絡にしか使っていない。アドレス帳に登録しているのも、バイト先と大学、そしてほんの少しの知人と、必要に応じ番号を交換した依頼仲間くらいのものだ。メールなんてものを最後に受信したのはいつだっただろうか。
訝しく思いながら受信箱を開き、目を剥いた。
2010年4月14日18時52分
差出人:ヒモ
件名:やあ
本文:久しぶり
「……え?」
まさか。そんなはずは。
画面に映っていたのは、予想もしないものだった。一時的に思考が止まる。その時間は短かったか長かったか解らないが、恐らく”数分”の後にもう一通、メールが舞い込んできた。
2010年4月14日18時55分
差出人:ヒモ
件名:ああ;;
本文:間違えて送信しちゃった(><;;)久しぶり~。元気?僕はとっても元気だよ!今は親切なお家でお世話になってるところだけど、また色々と落ち着いたら会いたいなぁ。都合の良い日とかあったら教えて!
「……はあ!?」
反射的にアドレス帳を開き、差出人の番号への通話を試みる。携帯電話の中では愛想のない電子音が響いているが、『彼』は一向に出てこない。しかし、途切れない辺りを見ると繋がらないわけではないらしい。
――死んだんじゃなかったのか!?
おいおい、俺あいつに『死んだよ』って言っちまたよ!
「……ったく。ああ、ちくしょう」
ため息しか出てこない。
殺しても死なない奴というのは存在するものだ。その事実を噛み締め、携帯を閉じた。洗面所の戸は開かれているが大して気に留めず、服を適当に脱ぎ捨てる。それを見た少年は少し驚いた様子で、鞄を持ったままそそくさとその場を離れた。
……あー。そういやあいつももう高校生だったか。まあいいや。
ひとつ深めの呼吸をした後、浴室の蛇口を捻り、熱いシャワーを素肌に浴びる。冷え切った肌が溶かされていくような感覚が心地良い。
ああ、疲れた。
……明日は、早く起きなければ。
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